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私たちについて

桐木神楽堂の歴史

 

桐木仁一郎という青年が昭和2年宮崎市旭通(現在の橘通東1丁目)に「桐木商店」という小間物屋を始めました。
初めは商店とは名ばかりで行商が主な生業でありました。主要商品は椿油。「五島の椿油」の看板を掲げて量り売りをしていました。次第に取り扱いを日用品全般に広げ郡部の商店へ配達する仲卸業も始めました。配達といっても当時は自転車です。荷台に幾つもの行李(こうり)を積み何十キロもの道のりを往復するのです。行李の中は手ぬぐいや軍手、毛糸や糸、石鹸など様々…住み込みで従業員を雇い、当時は衣食住全て面倒見なければなりません。それでも責任感の強い世話好きな仁一郎は町内の役職やお寺や神社のお世話係を任せられる人物となります。

 

一方長男の勇は高校卒業後サラリーマンをしていましたがそんな多忙な父の姿を見て、また幼い弟妹のことを思い家業を継ぐ決心をします。昭和29年には東京帰りの美代子と結婚し現代的な感覚を取り入れ婦人向けの化粧品の販売も手掛けます。しかしながら時代の流れで商売内容を変えざるを得なくなりました。地方都市にも大型商業施設が出店することとなります。親子は時代の波に左右されないオリジナルを手掛けたいと奮起し知人の紹介で熊本へ煎餅の修行に行き技術を身に着けます。

「桐木神楽堂」誕生

そして昭和38年遂に観光土産品として「宮崎八景せんべい」の販売となります。「桐木かぐら堂」開店です。それは新婚旅行ブームに乗って県内各地の旅館、ホテル、土産物店などに卸し広く知られることとなりました。また、小売も始めると同時に昭和51年「日向古代煎餅」を新発売、宮崎の名物として官公庁をはじめ県外へのお使い物としてたくさんの皆様にご利用いただきました。しかし県外資本のプロデュースによる洋風化した土産物にだんだんと侵入されてしまいます。
そこで勇の長男・孝一郎は和菓子職人になるために東京製菓学校へ進学します。大学まで柔道一筋で鍛えてきた孝一郎でしたがやはり、祖父、父の意思を継いで橘通東一丁目で商売することを決心したのでした。卒業後東京杉並の「杉森」恵比寿「菊屋」で修行を積んだ後、帰省し昭和61年11月に煎餅店の隣に和菓子の店「桐木神楽堂」をオープンします。

 

「恵比寿大福」の「豆大福」「くさ大福」を看板商品と掲げ上生菓子を始めとする和菓子店は時代に逆行した形でしたが特に茶道家を中心にご愛顧いただき平成28年には30周年を迎えることが出来ました。残念ながら平成16年に勇の死去とともに煎餅の製造販売は辞めることとなりましたが先代、先々代の遺志を継いで地元の皆様に愛される商品作りを心に誓い現在に至っております。このようにこの地で店を構え創業90年を超え時代とともに形を変えながら生き続けて参りました。先祖の開拓当初の苦労や支えって下さった地元の皆様のために私たちの出来得る形でこれからも貢献して参ります。